口上・なぜ「激渋温泉」なのか?
ひ-とう[秘湯] 人にあまり知られていない温泉。
広辞苑の第五版にはただそっけなくこう書かれている。しかし、秘湯の定義は何か?どこからどこまでを秘湯と呼べるのか?という話になると実は非常に曖昧模糊としている。秘湯に関するホームページを作ろうと思い立ってこのかた、私は「秘湯」という言葉にずっと振り回されていて、自分の中で「秘湯」をどのように定義したら良いのかあれこれ考えているうちに、何だかこんがらかって分からなくなってしまった。
秘湯に求めるイメージは人それぞれ千差万別で、当然いろいろなベクトルがあって良いのだが、一方で「秘湯」という言葉は、宣伝用にあまりに安易に乱発されすぎていたり、テレビの旅番組等で秘湯とは思えない普通の温泉がもっともらしく秘湯扱いされていたりと玉石混交も甚だしく、今やかなりイメージが形骸化して陳腐になっている感があるのを否めないのも大いに気にいらない。
いったい私は秘湯のどんな点を好ましいと感じているのか?なぜ秘湯なのか?と改めて考えてみると、最も重要な要素は「渋さ」、語感が弱いので言い換えると「激渋」さ、ではないかと思うのである。そこで「激渋」という言葉をキーワードにしてみたら、私の意図する温泉のページを作るのには、むしろ「秘湯」という表現よりも遥かに具合がいいということにハタと気が付いた。
例えば、大抵の秘湯は渋いのでそのまま「激渋」となるのだが、一般に秘湯と呼ばれている温泉であっても実際に私が渋いと感じなければ「激渋」には該当しないし、逆に今まで「秘湯」というカテゴリーには入れなかった一般の温泉地にある渋い共同浴場などは、「激渋」という括りならば「秘湯」と同じ土俵で評価することが出来るのである。また、自然のまま放ったらかしで湧いている「野湯」の多くも「激渋」の括りに納めることができる。そしてなにより一番のメリットは、温泉を分類する上でどの辺りの温泉から秘湯と呼べるのか?などという不毛なことを考えないで済むことである。
てな訳で秘湯のページを作ろうと思い立ってから長い間いろいろと考えた挙句、私が辿り着いたひとつの結論が、「激渋温泉」ということなのである。
しかし、当サイトにおける「激渋」の基準は完全に私の主観に基づく曖昧な物なので、周囲の環境や訪ねる季節によっても変化するし、空腹は最高の調味料というのと同じように、登山やスキーで汗だくになった後に入った温泉はそれだけで評価が高くなったりしているので念のため。
「激渋」を構成するファクターはパッと思いつくところでは、鄙び・素朴さ・歴史を感じさせる風情や情緒・地域との一体感・それとは逆に天然度の高さ・マイナス要素としては近代的な設備、などが挙げられるが、現時点ではまだ考えが煮詰まっていないので、その辺りのことは後でゆっくり考察してみたいと思っている。(2003.6/4記)
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